このブログは私が45歳の時、南山中高等学校(男子部)で中学2年生の英語を担当していたときに発行していた「日英バイリンガル通信」の復刻版です。第1号(1988年)から1992年の第36号(1992年)まで発行しました。生徒は高3まで持ち上がりました。学年が進級するにつれ、英語の語彙と文法のレベルが上がっています。教えた文法の制限内で中身のある英語を書くのには苦労しましたが、案外おもしろかったことを覚えています。各通信のイラストはブログ用に後からつけたものです。2010年3月19日記す。67歳 (残念ながら第7号が紛失したらしく見当たりません。教え子の誰か、まだ保管していたら教えてください。)

2010年4月12日月曜日

[18] エストニアの悲劇 ESTONIA, A COUNTRY OF TRAGEDY



南山高等学校 1年 日英バイリンガル通信 NO. 18 July 19, 1990
 
 エストニアの悲劇

 友達を殺さねばならぬのなら、君は殺すだろうか。他の国のために日本人が日本人を殺さねばならぬのなら、君はそうするだろうか。
 約50年前、エストニア人はお互いに殺しあった。なぜだろう。1939年、ソ連は突如ポーランドに侵入、翌年エストニアを占領し、共産党政府がソ連の支配下でできた。傀儡政府に反対の6万のエストニア人が虐殺されたり、シベリアに連行されたりした。
 1941年、突如ドイツはソ連に侵入し、エストニアを「解放」した。エストニア人はソ連軍を追いだしたドイツ軍を歓迎した。ドイツ軍は対ソ連戦のためエストニア人に入隊を進め、入隊したエストニア人を最前線に送った。
 一方、ソ連はシベリアからエストニア人を最前線に回した。この戦線でエストニア人同士が友としてでなく敵として向き合うことになった。1944年ソ連はエストニアを奪還し、ドイツ軍を退散させ、反ソのエストニア人を何千人も処刑した。
 エストニアの歴史は悲劇の歴史だ。今、エストニアは独立を切望している。

 ESTONIA, A COUNTRY OF TRAGEDY

  What if you have to kill your friends? What if Japanese are forced to kill Japanese for the benefit of other countries?
  Estonians killed Estonians about 50 years ago. Why? In 1939 the USSR suddenly invaded Poland. The next year the Soviet troops occupied Estonia. A Communist Party Government was made under Soviet control. 60,000 Estonians, who were against the puppet government, were killed or sent to Siberia.
  In 1941 Germany suddenly attacked the USSR, and “freed” Estonia. Estonians welcomed the army because it drove out the Soviet army. Germany recommended Estonians to join the army to fight against the USSR. After joining the army, they were sent to the front.
  The USSR, on the other hand, brought Estonians back from Siberia, and sent them to the front. Here, Estonians met Estonians not as friends but as foes. In 1944 the USSR returned to Estonia, and sent away the German army. Thousands of anit-Soviet Estonians were put to death.
  The history of Estonia is a history of tragedy. Today Estonians strongly want independence.

2 件のコメント:

  1. 私は,エストニア人は,戦国時代の真田家のようなものだと説明することにしています。たしかに悲劇ですが,生き残るためのしたたかさでもあると思います。

    ソ連併合後も亡命政権がアメリカにあり,アメリカ政府はこちらを正式なエストニア政府として外交関係を結んでました。日本は,ソ連への併合を早々と承認してしまいましたが。

    ちなみに,真田家の現在の御当主は,30代くらいで,東京のどこかの私立大学の先生をしていると聞いてます。毎年,真田祭りの時には,地元に招かれるらしいです。

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  2. Sipsk様

    コメントありがとうございました。亡命政権がアメリカにあったとは知りませんでした。

    松岡

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